interview


「鶏」と「豚」というものを(少年期から成人年齢にかけての)人間の年齢というものと関連づけ、比喩として使われていると、監督御自身がおっしゃっていましたが、その点についてもう少し詳しく説明して頂けますか?

これは難しい質問です。つまり私のイメージだからです。イメージを伝えるのは、本当に難しいのです。でも、その上でお答えします。 人を揶揄する時に、よく例えられる動物が「鶏」と「豚」です。そして私には、「鶏」は幼く思え、「豚」はそれよりも年を重ねたように思えるのです。このイメージが伝わることを願っています。


ピエル・パオロ・パゾリーニ監督作品の「豚小屋」(1969年製作)において、「豚」というテーマが「成長することを拒んだ少年」および「消費主義」の比喩として使われています。一般的に豚というものは、資本主義批評と関連づけて考えられることが多々あるわけですが、そのような社会的批評に対して御興味はお持ちですが?

はい。私は興味を持っています。映画「豚小屋」で、パゾリーニ監督は資本主義や消費主義を描く際に「豚」を比喩として見事に表現されたと思います。また、私が知るところでは、彼は共産主義者であり、資本主義への強烈な批判精神があったからこそ、この映画が生まれたのだろうと思います。 ただ、今の時代は、共産主義国や社会主義国はほんのわずかになり、資本主義国が世界の枢軸になりました。それが良いことなのか、そうでないかは、私には判断はつきませんが、世界が平和でないところから察すると、資本主義にも大きな問題点があると思わざるをえません。 資本主義。経済優先主義。「毎年、経済成長をしないといけない」と政治家も経済人も経済学者も皆がそう発言しています。このことは、私には大いなる疑問に思えます。それよりも、皆が自分の領域をわきまえて、人に迷惑をかけずに生き、人が人を敬い、愛していれば、それで十分幸せではないだろうか、とそう私は思うのですが。これは、理想にしか過ぎないのでしょうかねぇ。 政治家と経済人、経済学者らに、インドのマハトマ・ガンジーによる『七つの社会的大罪』のうちの三つをそれぞれに提示したいと思います。それを彼らに知ってもらい、自らを徹底的に律してほしいと思います。まず政治家には、「理念なき政治」。経済人には、「道徳なき商業」。経済学者には、「人格なき知識」。ガンジーは、これらを社会的大罪と仰っています。


監督が受けられた他のインタビューを拝見しながら感じたことなのですが、「豚鶏心中」と「追悼のざわめき」において、社会的および政治的なメッセージを送るというよりも、むしろ人間の感情と結びつきを監督は語られたかったのではないかという印象を受けました。当時、政治というものにあまり御興味を持っていらっしゃらなかったのでしょうか?または監督が映画製作を始められた70年代末に、いわゆる「政治的な失望感」といったものを感じられていたのでしょうか?

私が「豚鶏心中」と「追悼のざわめき」を創っている時に、作品の中に政治的な問題を入れようとは思いませんでした。ただ、前記したように、日本の社会から疎外された人々や、軽蔑されている人々を描いていますので、インタビュアーの方から、私の政治的背景や宗教的背景などを質問されることがあります。勿論、私はそれら二つの政治的背景や宗教的背景には関心を持っていますが、それは私が私生活でよく考えるというだけのことです。ですから、映画を創るうえでは、それらよりも疎外された人々や、軽蔑されている人々が一生懸命に生きている様子に、私は強く関心があります。 「政治的な失望感」はありません。なぜなら私は政治には、まったく期待をしていないからです。というのは、私が知る限りですが、いろんな国で、ほとんどの時代、ほとんどの政治家たちをはじめとする国のお偉方は、国民を見て、国民のことを考えながら政治をしてきたとは、まったく思えないからです。そのように私は政治をとらえていますので、まったく政治には期待をしていません。これからもきっと政治家たちは、国民のことを忘れて、図々しく生きていくのでしょうね。1970年代末に、私は映画製作を始めました。当時、私は学生運動に敗れた人々に会う機会がありましたが、私は彼らに会いたくありませんでした。その理由は、彼らが暴力でアピールをしていたからです。私はどんなことがあっても、暴力で訴えるというのは許されないことだと思っていますので、彼らと会うことを断りつづけました。私は、それで良かったと思います。 今、日本では二年前の福島県の原発事故以来、反原発運動が行われています。勿論、私もそのデモや集会、講演に参加をしています。それは原発というものは、政治を超えた人間や生命あるものすべての敵だと思うからです。そして私たちはデモの際には、暴力的なことは一切せず、ルールを守りアピールをしています。これからもそうありたいと思っています。


「狂映舎」という映画制作集団に携われたわけですが、このグループの設立された目的とは一体なんだったのでしょうか?その中においての取り決め(ルールのようなもの)、そしてその内部の構造は一体どのようなものだったのでしょうか?そして、このグループはいつ解散の時を迎えたのでしょうか?それはどのような理由からなのでしょうか?

私は「狂映舎」とは、映画監督になりたいと思っている人たちがメインに集まった映画制作集団だと認識しています。ルールというのは、基本的に監督をする人がお金を集め、他のメンバーがスタッフを務めるということです。製作費は本当に少なかったので8ミリフィルムがメインでした。勿論、お金がある時は16ミリフィルムで映画を創りました。解散をした時期は、メンバーが監督として一本立ちをした頃です


原一男氏は「豚鶏心中」での撮影監督を務められました。もともと原氏とは「狂映舎」の活動において知り合われたのですか?そして原氏との共同作業について、どのような印象を持たれましたか?

原一男さんは、「狂映舎」とは関係はありません。原さんと私との出会いは、私とスタッフがキャメラマンを選ぶ時、映画の内容から考えて、原さんが良いのではないかと判断をし、それで彼と知り合いました。その印象は、言うまでもなく、独自の世界を明確に持たれているなぁと感じました。


原一男監督作品のファンでいらっしゃいますか?

私は原一男監督作品をすべて観ていますし、好きな映画もあります。


「日本ヌーヴェルヴァーグ」と映画作家達との結びつきについて教えてください。例えば松井監督の「追悼のざわめき」と、今村昌平の「エロ事師たちより 人類学入門」(1966年製作)には、人形に狂おしい恋をした男が登場します。そして付け加えるならば、今村・松井両監督に見る共通テーマとしては、近親相姦というものがあります。

私にとって「日本のヌーヴェルヴァーグ」とは、大島渚監督、彼お一人だけだと認識しています。私はその大島監督と出会うことができ、また、幾度かお会いしていただけたことは、私には、とても貴重な時間と体験でした。それは、宝物と言ってもいいものです。 勿論、言うまでもなく今村昌平監督も素晴らしい表現者だと思いますが、「日本のヌーヴェルヴァーグ」ではないと思います。 その今村監督はご自身の映画の中で、人形への恋や、近親相姦を描いていますが、私が映画を創る際には、今村監督も彼の作品も浮かんできませんでした。


私の友人が監督の日本語ウィキペディアのページを拝見し、監督が「天気予報を見るのが」お好きという情報を発見しました。これは本当ですか?どうして天気予報に、そこまで御興味をお持ちなのですか?

天気予報は好きですね。例えば、明日の天気が晴れなら、あれをしよう。曇りなら、これをしよう。雨なら、他のことをしようと。つまり天気予報もそうですが、まず私は明日のことを考えるのが好きなのです。さらにそこで天気予報を知ったなら、もっといろんなことが想像できる。ですから、質問1のお答えと同じで、きっと私は想像をすること自体が好きなのです。そして、それは私にとって、とても興味深いことなのです。 その天気予報と同じくらいに、或いはそれ以上に好きなのがサッカーです。日本人がサッカーの歴史と伝統のあるヨーロッパで活躍しているのを知ると、とても嬉しく思ってしまいます。